現時点は短縮営業となり土曜から火曜の週4日間,12時~17時までとしています。
よろしくお願いいたします。

自粛中から和室での撮影が増えましたが、和洋折衷なこの空間は、やはり東西の区分なく物を平等に観れる気がします。
特別に感情的な理由でもなく。

空襲を受けた岐阜中心地では稀少な折衷木造建築を、存続可能な限り自分たちの仕事と重ねながら守っていきたいものです。









琉球の古陶とアフリカの樹皮布

沖縄から遠く離れたピグミー族のふんどしをバックに、座するは琉球の古壺。
産地や時代が異なっても、共通するおおらかな空気で寄り添っているような、風土の色濃い生活必需品です。

壺は“壺屋焼”の荒焼と呼ばれる水甕や酒瓶などに用いたもの。壺屋は17世紀に開窯されていますが、これは比較的に初期に焼かれた壺と思われます。ニュウがありますが、小振りで形も愛らしく飾りやすさが魅力です。

古い樹皮布は水に溶けてしまう、と文献にありましたが、溶ける前隠しってなかなかのモノです。小さめですが図柄も生き生きしており、和室でも違和感がありません。

そういえば、どちらも音楽文化が豊かな土地柄。音数の少ないピグミーも、五音階の琉球音楽も、環境や思想から派生していった美しい民族音楽。

ここでどちらの音楽が流れたとしても、きっと融和する空間となりそうです。


古壺屋荒焼甕 24cm高 売約済み
ピグミー族のタパ 64cm×27cm








おかげさまで大暑の日に開店10周年を迎えることができました。これまで支えていただいた方々へ心よりお礼申し上げます。

そこで十年間集めた物というほど仰々しいものではないですが、こつこつと集めてきた道具の展示会を行うつもりでした。

無期限延期となりましたが、またいつかそんな機会を待ちたく、今は疫病退散を思い、できることを続けて参ります。11年目もどうぞよろしくお願いいたします。



この朽ちかけた梯子は、展示会に出品予定だったもの。

半円状の二本の樹に削り出した木棒を差し込んだだけの南フランスの簡素な梯子。

今にも崩れそうなのに、これにホントに昇って果物などを収穫していたの?
と、不思議に思えてきますが、おそらく身近にある材料で、家庭で日常用としてこしらえたもの。

木は朽ちて揺らぎつつ上に昇る姿が、まるで祈祷用の祭具か何かに見えてしまうのは、僕の思うフランス的な木工の面白みです。





実用的な木工品がもろくて破損しやすいのは、理想ではありませんが、どこか許されてしまうような軟らかさも潜んでいます。

家具や木工として優れていないからと、切り捨てず、頭をひねって使い途や在り方を探してみるのも道具屋の仕事。


かつてブランクーシがアトリエで葡萄酒圧搾機の木棒にインスピレーションを得ていたように、用途に健全でいて、且つその土地ならではの風土に育まれた木の道具や大きな農具には、彫刻家の作品と同質に、こちらの心に響く力があるように思えてきます。


とりわけ梯子は神聖であらゆるものの通る道、繋がりと往来のイメージには好感があります。

梯子を昇った先にyesと書かれていたら。

現在はどん詰まりではなく、肯定するように先へ繋ぐ仕事ができればと願っています。




梯子 フランス19世紀 192cm

ceiling painting.
war is over.










蝉の声が聞こえはじめました。

片身替りのデルフトタイル。
塗りむらは景色となり、雨模様や海の水平線のよう。本来は壁面で4枚あわせ青の正方形をつくり、集合して市松文としたものです。

一枚で見ると簡潔なデザインですが、文様の一部ともいえる役割を担っており、それゆえ余分な飾りも無く、職人仕事的な手早い塗りが好ましいです。
板皿として、涼菓や夏の果物が映えます。


四枚目写真にこの海のタイルと合わせてCDの「海の日記帳」を。


海の日記帳 | 三善晃


夏を迎えるピアノ小品集。
いまは店でこればかり流れています。

この作品ですが、なんと僕が生まれた同年同日‼︎
そのたった1日で録音された音楽です。

勝手に自分の誕生に捧げてもらえてような気がして、不思議な縁を感じています。
音と共に、その時代その日の空気を想う。
過去と現在を繋ぐ、ピアノの音色。



「私は私のピアノで、私の言葉を語る。
これらの小品は、自分の大好きな海の、イメージの風景画、あるいはソネットである。」

作者による解説文より



素晴らしい作品を教えてくれたCD shop SONGS の鬼頭さんに感謝です。



片身替デルフトタイル 18世紀
売約済み









2年半前の山本美文展の初日。

haruka君は休むことなくピアノの弾き続けてくれました。
その風景を山本さんがしたためた詩。

「隔たりのない世界観」という言葉が、
いまは何と、なつかしく、こみ上げてくるものがある。


本展で実現できなかった二回目のコラボ。
次はかならず行いたい。

瞬間を奏でる人と、木から生みだす人との対話。
その未来の構想が、ぼんやりと僕の頭の中に浮かびはじめた。
忘れないうちにはやく三人で話しあいたい。











山本美文展が終了しました。厳しい時世の中で、ご来場いただいた方々に感謝の言葉しかありません。オンラインでお求めいただいた方々、投稿をご覧の皆さんにも感謝申し上げます。盆や碗、ほとんどの作品がでました。

写真は山本美文さんの言葉(詩,パンセ)を収めた冊子。瀬戸内の日本オリーブから削り出された匙と。

軽トラでオリーブの枝をまずご自身でひろい集めることにはじまり、それから製材をおこない彫り出し。一つのカトラリーを作るにはなかなか見あわない労力や仕事量です。

それでも、地元の身近にある実のなる木(広葉樹)を選び、じっさいに食卓の道具や家具のかたちへ変わり使うとき、自然の懐の中で生きているという実感はより湧きやすいのでしょう。

そもそも針葉樹でしか木工をできなかった山本さんが伝えてくれる言葉は、森を大切にというスローガンよりも迫ってくるものがあります。

また何年後かの展示は、本展の続きのようなものを行いたいです。ありがとうございました。














7/4土曜、山本美文さんの在廊日。
閉店後にはささやかな会食をおこないました。

そこで僕は気になっていたことなど、色々と質問してしまいました。
(長距離の運転や在廊でお疲れというのに、美文さんすみませんでした)

何でもない打ち上げの時間のようで、大変に実りのあるひとときでした。


——

色は言葉を持たないけど、人の感情を左右するような強烈なメッセージにもなり得る。
だから色をみるときに(作るひと、選ぶ側は)慎重にならねば、、
繊細な人はもしかしたら、街に溢れる選ばれざる色に知らぬ間に疲れて傷ついているかもしれないし、或いはもう繊細ささえ放棄してしまったかもしれない。

反対に色は力を与えて、活力の湧くもの。
色の奥にある「意味や効果」を見極めて、必要に応じて選んでいきたい。
でも、そこに確かさや正しさは無く、結局は見るひとそれぞれの受けとめ方次第。



僕の好きな白とは何だろう。
それは言葉にあらわすことはできない。

例えばデルフトの白にはその特徴はあれど、無限にあって、好きも嫌いもあるということ。

情報ばかりに[作者・名称・時代・産地・素材・etc...]に惑わされて選んでいると、感受性をどこかに置いてきたようなとってもサビシイ気分になる。

情報は一旦遠くに離して、
好きな白を永遠に探究していこう。
終わりがないだろう。

白は骨の色でもある。
初心は白のシャツを羽織るように。



そう、僕の大好きな安野光雅さんの、この「あいうえおの本」には、ほぼ言葉の説明がない。

例えば、「あ」には、「あ」の頭文字からはじまる、事物や器物に道具、動植物に現象などが沢山絵柄で隠されている。
大人でも考え込んでしまうような、ノーヒントで説明なし。日本語の豊かさや文化があり、感性や教養も試される本。

自身の眼にうつる、かたちから真実と本質を探ること。


ところで本の背のスプーン、
美文さんのオリーブのスプーンとそっくり!
うーん、節まで似てるな~









白漆酒膳 39cm径


雑感


漆芸というより、形を追求した白い木の器

今回も多数並んだ白漆の木工品。
どうして「白漆」なのでしょう。

まず、白漆は「白」と名がついていますが、実際には真白ではなく、顔料を加えて灰色や黄を帯びたブルーグレーやアイボリーだったりします。塗らずに拭き漆で木の目や節を活かすのもいいですが、はがれやすいという難点や強すぎる節や木の目がくるしくなる場合もあります。

そこでハレの朱や黒でもなく、色の主張をさけた白を重ねると、節(模様)が薄らぎ形そのものが浮かんでくる。白の濃淡や顔料の配合で、木地との相性をさがすと、白は限りない色合いともなるでしょう。そして白を塗り重ねた漆器は耐久性があり強くて軽い、日常の食器に優れています。「白い漆器」である所以は見た目の優先でもなく、必然的に山本さんがより良い生活具の漆器をもとめた結果なのでしょう。








蕎麦猪口 [欅・白漆,拭漆]


塗師の刷毛とは、毛髪や馬毛などさぞ立派なものを想像していたら、、
美文さんの漆刷毛は、子ども用えのぐ筆みたいな小学校の図工で使うようなものだよ、
と以前お聞きした記憶があります。


白漆の猪口は、手取りのかるさや温度の伝わり方がやさしく、陶磁器やガラスでは出ない魅力があり、僕が年がら年中熱いのも冷たいのも飲む愛用品です。

リクエストをすると今展にも出品してくださいました。
これも子ども筆で塗ったものでしょうか、もう既に直されていますし。サッと軽やか、いろいろとおもみがなくて楽なんです。





隅切盆[栃・白漆]山本美文
蕎麦猪口[欅・白漆] 〃
平佐焼白磁急須 江戸後期



案内葉書をつくらなかった展覧会は10年間で初めてかもしれません。
現況もあって仕方のないことですが、これまでとは異なるスタートの静かな初日でした。


初日の昼下がり、
店主はフランスの古い教会ベンチに腰掛けて、パンセを読ませていただく。

そんな時間さえもらえて申し訳ないような気分でもありますが、贅沢で幸せなひとときでもありました。
ゆっくりご覧いただいた方に感謝して。





前回個展の際に葉書に掲載したパンセ










「珈琲盆」
西洋の金属器のようですが、軟らかで軽いトチノキ(栃)に弁柄漆が塗られた漆器盆です。

栃とはマロニエ、パリの街路樹。

その名に応えて、フランスの珈琲の色が染みた八角カップと仏製硝子片口をあわせてみました。
硝子片口は珈琲2人分くらい、なにかと使えます。
洋風建築にアイス珈琲は、苦くて甘美な大正浪漫のようです。

ちなみに本展は、盆や敷膳が展示作品の7割ほどを占めますが、ほぼ漆が塗られている器ですのでお皿としても用いれます。
この珈琲盆も、むしろ漆器皿を盆に代えている印象。
昨日、沢山の盆が届いて展示変え中。
展は明日よりスタートします。




山本美文 木工 展
会期 6/27(土) - 7/12(日)
時間 12:00 - 18:00
定休 木,金休み








朱塗の修繕盆。
時代の足あとを消したり傷つけないように、元の姿を想った修復が施されています。

だからといって、単調な直しでもなく高台内にさりげない鑿跡を刻み、いまを生きる木工としての仕事を足されています。
その塩梅がとてもむずかしい修復は、人間味の出る仕事で安易にもゆかないようです。


盆の上には、ゆがんだ初期伊万里盃と仏ルーアン産の東洋陶磁の影響がみられる藍絵水注を取り合わせてみました。
展でも上手くまとまるといいのですが。

すべて今週末からの山本美文展にて販売いたします。
展示は通常どおり行いますが、混雑時には入場制限をいたします。
マスク着用でのご来店をお願い申し上げます。

また、オンラインでの販売は来週中頃からの予定です。


朱塗修繕盆 / 山本美文
初期伊万里白磁盃
フランス藍絵水注 18世紀


山本美文 木工 展

会期 6/27(土) - 7/12(日)
時間 12:00 - 18:00
定休 木,金休み







300年以上ぶりという、夏至の日食。
もうはじまったようなので、グラスを掛けて観てみることにします。
さて、この器もまるで夜に浮かぶ月のようです。


工芸青花14号が刊行されました。
今号でも精華抄にご紹介いただき、早速にいろいろとご感想が寄せられ嬉しく感謝しています。
僕のテキストは詳しい説明もなく他愛もないものでしたので… この場を借りてすこし補足をさせてください。

写真の皿は、近寄るまでは銀化した古代ガラスかと思いこんでいました。

中世末期,イギリス領であったフランス南西部のサントンジュ地方では、緑釉陶器を生産してはイギリスへも輸出していたようです。

フランスの城下で出土したこの皿は緑釉と判らないほどに、ほぼ剥落していますが、年月のつくった銀化まじりの肌と造形は無条件に心うたれました。  

まだまだ、次回の渡仏のメドも立ちませんが、発掘地にすぐに飛んで行きたくなる、そんな想いにしてくれる美しい皿でした。

誌面では、フチにかかるわずかな釉や裏面に遺された緑釉を確認できます。
ご覧いただければ幸いです。


緑釉皿 フランス/サントンジュ地方 中世末期
売約済み (工芸青花14号掲載)








山本美文さんの展覧会は本展で三度目の開催。
来月、開店して丁度10年の節目となるので、美文さんにお祝いをしていただくような気持ちもあって、嬉しくありがたい。


10年前の夏。
たしか開店する一週間ほど前、美文さんは岡山から岐阜まで、車でお越しになり手持ちで納品してくださった。

たしか、大きなキャンピングカーに乗って。
そのまま、たしか夕食をご一緒したような…

そして、僕の店の駐車場に車を留めて車中泊された、大暑の頃というのに…。(これは、合っているとおもう)
翌朝颯爽とさよならーと、お帰りになられた。


僕のような、若者のために、
暑い日に美文さんは車を走らせて、
わざわざ作品を届けてくれたこと。
この先もずっと忘れない開店前の出来事。

10年経って、
美文さんは今も少年のように素敵で、
遊び心を忘れずに、想定外の技も繰り出される。
でも、それはただ大らかなだけでなく、芯に揺るぎない信念と鍛錬した技術が下地にあってのこと。

良いものを作れる人は、心に詩と音楽を宿す。
静かにゆっくりと流れている。





オランダ産のマジョリカ陶器。

南欧から伝わり、その地の伝統や明るさを持ちながらネーデルラント地方の寒い冬の色も僅かに混在する器。

二つの風土の特性が自然と出た意匠には、妙に安心を得てしまうのです。




昨年の春に出掛けたイタリア。
本場のマジョリカ陶器を、中世のものから現代作品の工房まで観て触れることが出来た。
この春も、イタリアやオランダへ普段どおりに行けるとばかり思っていた。


あの歴史ある国へ、世界の人々がまた多く訪れられるようになることを、心の底から願う。

薄紫の花の欠片を夕暮れの和室へ。


ダッチマジョリカ陶片 17世紀前半 15cm径 2.2cm高
売約済み









灰釉がほぼ剥げ落ちて、まろやかな膚と形のよく出た段皿。




そのおかげではっきりした轆轤目や指の痕跡が景色とみれて楽しい。
平安のビスケット膚。
茶菓子を乗せてどうぞ一服。




(現状で使用出来ないことはありませんが、素焼に近い軟らかい状況と、ニュウ,縁に欠損もあり参考品としてお考えください。)


白瓷灰釉段皿 平安時代 11.4cm高 2cm






工芸青花十三号が刊行されました。
精華抄にて中世刺繍画をご紹介いただいています。

さて、その頁の文中に登場するシェル・シルヴァスタイン。

シルヴァスタインといえば、「ぼくを探しに」は、子どもの頃に図書館で何気なく読んでいた絵本。

the missing piece。
いつも足りないものだらけ。
どうやらぼくも間違ったカケラをはめていて、歌うことも忘れて転がっているところを佐藤さんに諭されて、これからもう一度、昔作ったヘタな歌でも思い出して歌いつつ転がれそうかという心持ちに。
ランランラン、初源QCを考えながら。









色調のやさしい手紡ぎ糸を織り重ねた古の木綿,丹波布。
経緯糸ともに失われつつも、まだ形を留めてくれています。



和洋を問わず器物を包むのに、丹波布は重宝するので端切でも使えそうと思いましたが、暫く、このまま掛けて観ることにしました。


茶地縞丹波布 168cm長 明治









白珉平五寸皿

彩画のない無地白珉平焼。
黄色や緑で同形を見たことがありますが、白の無地平皿は今回はじめて扱います。
 




軟らかな土質と薄造りで、明治期に輸出が始まる以前の江戸期の珉平焼でしょうか。古い珉平のうつわを重ねたときの、その特有の軽やかな音が好ましいです。




嬉しいことに五枚組で残ってくれたので、今のところはこのまま離れさせずにお売りできればと思っています。
貫入と染みのつくった景色は言うまでもなくですが、五枚そろって浮かぶ一つの景色もありそうです。


売約済み








緑釉が薄っすらと掛けられたやきもの、呂宋(ルス)織部。

古くから緑色陶器は人々に好まれたもの。
江戸後期の瀬戸で生まれたルス織部も、そのような意識を基に瀬戸の高度な技術で生まれた当時のヒット製品だったようです。



歌麿の浮世絵の中に描かれていたり、ハイカラな「ルス」という響きの色鮮やかな焼き物を江戸の人たちはどの様に感じたのか。
斬新な印花や貼り付けの施文もニューウェーブだったはず。



輪花に線刻に印花瓔珞と、、盛りだくさんの装飾には磁器づくりへと移行する前の瀬戸の新製品陶器への試みや想いが見てとれるようで、グッときます。

緑の色が深く濃くでた織部色と、今回の皿のように淡く薄い若草色もありますが、僕は若草のウスアジ派です。筍の焼いたのとか、これからの器に。  



呂宋織部輪花皿 22cm 江戸後期-江戸末







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