裏庭に二本のブルーベリーを植えました。
"自家不和合性"というブルーベリーの性質により、個体では実が育ちづらく、二本以上を近くに植えることで、果実も大きくなり収穫量も増えるとのことで、二本植樹。
収穫はまだまだ先になりそうですが、今のところ元気に育ってくれています。




写真は、フランスよりブルーベリーを収穫する際の道具。




櫛のようになった箇所で、ブルーベリー畑を掬うと、果実が内部に入る仕組みです。

ちりとりのような形状で背に持ち手が付いた、もっと大きなサイズもありますが、これはハンドルも備えていない小型。
片手でも持ち握りやすくする為か、軽い木材で簡素に作られています。

模型のように組み上げられ、櫛の刃の部分は鉄棒がざっくり並ぶ。虫食いも程よい景色を与えています。

用途に忠実ながらも、軽みとユーモアを残しているのはフランスらしさだと思います。
花器ともならず、ですが、傍に置いて、角度を変えつつ、眺めてみる。

箱型に鉄線が並び、弾けば良い音が響きそうで、古い民族の楽器のようです。



ブルーベリー収穫道具 フランス19世紀 19cm高×9cm幅 売約済み











Pieter de Hooch "interieur met kind die een papegaai voert" (1672)

ブリューゲルの影響から派生するオランダ絵画の黄金時代と呼ばれる17世紀オランダやフランドル地方の宗教色少ない風俗画は、当時の生活様式や習慣を知れる他国にはない独立した貴重な絵画です。

日本でも浮世絵では日常生活が伺えますが、写実的なオランダ絵画には、細密に内装から家具、生活道具までを把握することができ、扱う品物がひっそり描かれていたり、緻密な絵画世界には新たな発見が常にあります。


webで紹介中の黄釉面取容器はオランダ17世紀に鳥の餌入れとして使用された陶器。縁の下部を紐などで括り、小振りな鳥籠の金網に、平らな面を背にして付けられていたようです。

当時のその様子が、上記Pieter de hooch等の17世紀オランダ絵画でも確認できます。



Gerard Dou "Old Woman Watering Flowers" (1660)

Gerard Douの絵(1660年)に登場している餌入れは、釉薬の色味も形もほぼ同型です。


Gerard Dou "Femme accrochant un coq a sa fenetre" (1675)

ヘラルト・ドウの絵画で好まれたモチーフなのか、その他の幾つかの作品でも、似た窓辺や人物と構図に、同じ鳥籠と餌入れが描かれています。

この形の餌入れも、一体どれほどの数量が生産されたのか、当時の鳥を飼う習慣や人との関係性も、興味深いものです。



はっきりと描かれた、壁面のホワイトタイル、ピューターや白釉陶器も、暮らしのなかにある姿を見て、その時代の物が手元にあると思うと、やはり胸に迫るものがあります。















グラヴュール縁反草文盃。
髪の毛の線ほどの消え入りそうな細い一筋の蔓に、葉が描かれています。

底面は丁寧な仕上げ、鉛量は多く、手取りはずんとした重み、弾けば響きます。

小型で縁反の形に、陶器のような歪みの面白さが加わり、手のひらであそび楽しみます。

描いているのか、描いていないのか、
生きている線の運びがあり、
細くとも伸び伸びとして、凛々しく、その頃が刻み込まれています。





グラヴュール縁反草文盃 明治後期 5,5~5,8cm高 5,5cm径













この縁反型のガラス容器には、蝋燭を入れて、主に修道院や室内の重要な灯具として用いられたようです。
この容器も水色や緑色と、濃淡で印象が異なり、微妙な塩梅のごく薄い緑と、無色のものを選びました。
手吹きで大量に手早く製作されたのか、その速さすら感じるふわふわした揺らめき具合。

盃として転用するのに程良いサイズ感です。隣はコニャック用酒瓶。おそらく20世紀に入るものですが、素直な姿だと思います。





釣燭台用ガラス容器 フランス18世紀









以前にwebで一度、紹介したことのあるものと同手の白釉染付双耳瓶。
この形は、なぜか扁壺型が多いのですが、今回のものは、きれいな丸型。
サイズもこの種では小振りで、徳利や花器にも良さそうです。

中央の"B"は名前…?
花や文様、イニシャルが描かれていたりしますが、潔くBの一文字。





白釉染付双耳瓶 フランス18世紀 15cm高 売約済み



同じく18世紀の白釉染付。
青花(鈴蘭のような)が描かれた、卓上で使用したインク壺です。
中心の墨入れは失われています。
東洋の雰囲気があり、李朝や和物の側に置いても、違和感なく馴染みそうです。


白釉染付インク壺 オランダ18世紀 売約済み






帰国間際、借りていたアパルトマンを出発しようと扉を開けると、一匹の黒猫が座っていました。
二週間近く滞在していながら、まったく猫の気配もなかったのに、どこから突然…
見下ろすと、更にもう一匹。二匹とも美猫、かわいい。

帰路の無事を願って見送りにきてくれたのでしょうか。その場から離れがたくなってしまいました。

扉を開くとかわいい猫。
滞在中で最大の驚き。一番大きな声を出したでしょう。

"気をつけて帰れよ" というメッセージと受け取り、感謝を伝えて別れました。
ご飯もあげれずに、ごめんよ。また会いましょう。











キャンドルグラスの色は青,緑,茶,無色透明などありますが薄紫色は他色より比較的には少なく、この色味に和硝子のような趣きを感じます。

後に機械式の造りへ変わりますが、こちらは19世紀のハンドブロー。キャンドルグラスには縁の欠けや割れが多いのですが、珍しくて良い色の上に、すべてが無傷なのは幸運でした。

とりわけ、薄い色であり揺らぎの多いものが見つかりました。夏の夜が合いそうです。


教会用キャンドルグラス フランス19世紀 すべて売約済み









長いお休みをいただきましたが、明日より開店いたします。買付けた品物を色々と並べてお待ちしております。一月半ぶりの通常営業ですが、これからしばらくの期間は常設が続きます。

渡欧する際は毎回探している風見。
今回は跳ねる姿が躍動感ある兎と出会えました。

前回紹介した風見(馬と人物)はブリキ製で、おそらく19世紀末~20世紀初頭頃の作と推測されますが、今回の風見はもう少し時代が上がり厚めの鉄製で19世紀後半頃と聞きました。
ディーラーには聞きそびれてしまいましたが、真ん中に空いている穴は後年は開けたものか、何かの役目だったのか、謎です。不思議に真ん中が開いているのも、軽やかな印象で面白いと思っています。


目白コレクションから京都ふるどうぐ市を終えて、marobaya展示会終了後にすぐ買付けへ…
休む間もない一月半でしたが、無事に全てを終えることができて安心と感謝をしています。これからしばらくの間は通常営業です。店に立ち、お待ちしております。

この二ヵ月間は予告や報告などばかりでweb更新を楽しみにお待ちいただいていた方には大変申し訳なく思っています。webやブログでもゆっくり商品紹介を含め発信していきます。
よろしくお願いします。


鉄製兎型風見 フランス19世紀









衣服と布の展覧会 MAROBAYA 展示会は無事終了しました。連休中にご来場いただきました皆様、本当にありがとうございました。

彼らの独得な服の置き方をご覧いただいた瞬間に、四年前の展示や、もっと山際にあった頃の旧店舗(日本家屋や畳の上)を憶い出していただく方も多く、それは嬉しいことでした。

服が仕上るまでの工程や製法を最低限だけ伝えて、あとは触れたり、はおったりしてください。と、だけ言い、彼らは黙って静かに隣に立っています。
もちろん、全て手間暇をかけてつくられた衣服で、話せば、ながく伝えることもできるはずです。

気配は,言葉にないものや、言葉のまえに宿っているからかもしれません。
服にただ触れて、はおって、感じてほしいというのは、ある意味では誤解も招いたり難しく大変なことです。一貫した彼らの姿勢は、突き刺さるものがあります。

深々と建物にまでお辞儀をして去った彼らを、僧のように思いました。4年前と同じ景色でした。またいつか、かわらず、開催できればと願います。


















京都ふるどうぐ市へご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。

元・立誠小学校での開催は最後になりそうとのことで、今年は特に出展者の方々の熱気や気迫を感じました。それは品揃えにも表れ、それぞれの表現の幅は拡がり、一つのブースごとに異なる豊かな世界観がみられました。

そして、ここで最後というのが信じ難いほど、京都ふるどうぐ市と元・立誠小学校は、かたく結び付いているように思いました。

今回は、可能な限り校舎を歩いてまわり、出展者の方の品物に触れたりお話をして、眼に焼きつけてきました。

次回開催場所や日程はまだ未定のようですが、この素晴らしい催しが続いていくことを強く願っています。


目白コレクションから京都ふるどうぐ市、濃厚な二週間でしたが、無事に終えることができて安心しています。
精進して参ります。

ご来場いただき、本当にありがとうございました。








古伊万里白磁猪口 和蘭陀薬壷 仏蘭西キャンドル入れ


目白コレクション出品物の発送を無事に終えて、ひと息ついています。

目白コレクションに向けて、自分の好きなものを集めてきました。和洋混在、地元美濃瀬戸の焼物から北欧の木彫まで、取り留めのないようにも思えますが、何とか軸を保ちながら素直な気持ちで選びました。


本日発送分と当日の手持ち搬入を合わせると、かなりの品数になりそうです。

ちなみに、こちらで紹介している品物は、中心的な物ですが、ごく一部です。
催事のために集めてきた品物ばかりです、ぜひ会場にてご覧いただけたら幸いです。


東京での出店も数年ぶりです。皆さまとお会いできることを楽しみに、ご来場お待ちしています。


目白コレクション

4月15日(土) 12:00-18:00
4月16日(日) 10:00-17:00
於 目白 椿ホール




古九谷白磁葉皿 17世紀



鉄箆 (暖炉の調理器具) イタリア18世紀



コプト三連裂



角形ガラス瓶 デンマーク18世紀末~19世紀前半
緑色ガラス水注 フランス18世紀



英国グラヴュール草花文脚付杯 1750~1780年頃
英国オペークツイスト脚付杯 1750~1780年頃



狛犬 室町時代










小型の白デルフト薬壺。まるで高台を備えたような、意図せずとも盃の形となった小壺。

クリームポット、いわゆる軟膏容器として生産されたものですが、年代による器形の移り変わりや、色味も発掘による土壌での変化あるもの、色絵などと多種多様にあるので、自分と合う、好みの軟膏容器を探してみるのも楽しいです。

こちらも元々、下部を小さく製作した容器と思われますが、焼成具合も含めて歪んだこの独自な形になったのでしょうか。

盃にぴったり。で、希少性もあり人気がありそうです。
ですが、僕はそれよりも、どちらかといえば、この形と質感や存在そのものに惹かれています。盃としてだけでなく、眺めるだけでも、色々と。



白デルフト薬壺 17世紀後半~18世紀初頃
目白コレクション出品予定







印判猪口各種。
幾何学紋様の猪口(湯呑)色々です。
砥部焼系統の産地あるいは伊万里焼かと思われます。
状態も良好なものをまとまって仕入れることが出来ました。

磁器染付を扱うことは少ないですが、こんな幾何学模様の猪口なら普段使いしてみたいです。分厚めの高台と、焼成具合で若干たわんだ愛嬌ある姿も味わいがあり気に入っています。

数がありますので目白コレクションと、京都ふるどうぐ市の両催事へお持ちしようと思います。





幾何学紋様印判猪口 各種 明治期










呉須擦絵木瓜型向付 美濃地方 18世紀初頭頃

木瓜型の中に、呉須の型紙擦り絵。
春らしい可憐で穏和な梅花が咲いています。
画像だと小振りに見えますが、幅16センチ程あり取り皿にもお使いいただけるサイズです。

裏側細部まで丁寧な作行で、上質な土を用いた茶陶であったことが窺い知れます。

桃山期から瀬戸美濃の焼物には染付を用いたもの(藍織部)があり、御深井焼、安南染付写し、太白手などへ続いていきますが、今回の型擦りの陶胎染付は1700年代初め頃と思われます。


これより時代の下る江戸後期~幕末頃の太白手も目白コレクションへ、色々お持ちする予定です。

太白手にしても、染付が滲んで、何が描かれているのか判らない程ぼやけた絵柄、しかし、その安定を欠いた偶発的で即興性のある姿には魅了されます。


目白コレクション出品予定











目白コレクション開催まで、あと二十日をきりました。引き続き出品予定の品物を紹介して参ります。

横線の焼物各種。

豪快な白丹波徳利に躊躇いない三本線は、心地良いものです。
仕入れの際に大きくて、一瞬迷ったのですが、怯んだのはおそらくこちらの器量不足が故。ついて来いと言わんばかりの圧倒的な存在感に、任せるように抱えて帰りました。間違いはなく、良かったと思っています。




白丹波徳利 幕末~明治 26cm高
瀬戸輪線文鉢 江戸後期 21cm×9cm
白磁一文字盃 明治 6.3cm×3cm






瀬戸輪線文鉢はお探しの方も多いのでは、と思います。鉄釉で規則的に線が引かれ、筆が早さで流れて擦れて出た濃淡による模様は、見飽きることもなく、一般的な古い雑器と呼ばれるにはあまりにも整った景色です。

陶磁器のなかに時折感じる、意図した以上の絵画的な芸術性には、いつも静かに感動してしまいます。

自分も長く探し求めていた焼物で名残惜しい気がありますが、この機会に出品いたします。












目白コレクション、いよいよ近づいてきました。今回の案内状には様々な"白"の焼物が載せられています。自分も好みの白を、色々とお持ち出来ればと思います。

白錫釉注器と受皿。18世紀フランスのオイルとビネガーサーバーです。(同手の受皿が目白コレクション案内状表紙にも、ありました)
脆い軟質陶器ですが、ほぼ傷が無く、釉薬の調子も気に入っています。

脚元から胴部への膨らみ、細く長い首までの姿形は、シンプルでエレガントな美しさがあり、とてもフランス的だと思います。

数も少ない無地白釉サーバーですが、よく目を凝らしてそれを比較をすると、一つ一つの形の違いが案外あることに気付きました。

希少性に気を取られていましたが、やはり手作りによる焼物。無地で真白だからこそ、個々の個性が際立つところでも、あります。


白錫釉注器と受皿 フランス18世紀










宮武史郎展「すくう」

無事終了しました。ご来場ありがとうございました。

並んだ像は全二十三体。
殆どの行き先が決まり、作家と共に作品たちと離れるのを名残惜しくも安心しています。


生々しく描写的な宮武さんの像は、強固な現実感やエロティシズムを連想する作品もあれば、描写からは解放されて原始的で素朴な、拾われたありのままの、なにも手を加えていないような作品もあります。

すべてが安らぎや心をあたためるものだけではなく、人によっては放つ力が強いがゆえに遠ざかり目をつむることもあります。

観る側の眼により、"化身"はあらゆる変化をして、問いかけをするかのように、哀しみにも喜びにも。

でも、それが汚れなき真の芸術の愉しさではないかと思います。




人形師であり人形遣い(役者)でもある宮武さんが作る彫刻は、職人的な要素が随所にあり、本物の彫刻が放つ激しさや厳しさとは異なるかもしれません。
しかし、操りの道具としてうまれた人形でもありません。

静かで周辺のものたちと調和しようとする少年のような、老人のような像は彫刻とは似て非なるもの。

人形と彫刻の中間にあるような彼の表現はどこに向かうのか、これからまだまだ見守り見続けたいと思います。




幸運にも、きっかけは僕の言葉から、はじまった彼との展覧会。特別です。
また何年後かに皆さんにお届けしたいです。











みぞれ降る三月夕暮れ。陽も長くなりました。姫水木の淡緑が出ると、春のまだ向こうを思わせます。古越前壷と、枝に憩む鳥のデルフトタイルと。


本日から宮武史郎展の作品搬入と展示変えです。

二年前の個展の際、その頃は壁も藍色だったことや、二月の張り詰めた冷たい空気のなか、漂流物を主体とした彫刻を置くと、海の奥底にいるような感覚となったことを憶えています。

今回も沢山の彫刻が並び、雰囲気が、がらりと変わりそうです。



古越前中壷 室町











とある日の、同業者の方との雑談から

(その人は、飾らず飄々として、裏方に居るような人。俯瞰して眺めていて、いつか何かをしてくれそうな。能ある鷹は爪を隠す、そんな感じでしょうか。ひそかに尊敬をしています。)

その彼に、美しさ(うつくしいもの・こと)とは何だと思いますか?と聞かれました。

咄嗟に頭の中を巡らせて、僕が言葉を出す前に、彼は続けます。
静かであること、
というのは何となく腑に落ちますよね、と。加えて、
ゆっくりであること、
というのを知人から最近聞いて、成る程と、感じたんですよと言われました。

瞬時に思い浮かんだのは、その日、話をしている彼に会いに行く道中に遠くから見た、大きな雪山でした。山を見て思わず、大声を出して綺麗だなあと、独り言のように呟いたこと。
二月の雪の山。季節が移ろい、山もゆっくり、ゆっくりと、
そして静かに実は動いていて、姿を変える。
それは、最近見たものの中では、ベストスリーに入る心に沁みたもの。
美しいものは、タダ(唯・只)だよ、と云ったまた別の友人の言葉も重なりました。

速度を追求して更に便利になっていく生活は、何処に着地するでしょう。
静かに、ゆっくりで、とは、なかなかいかなさそうです。
そのはやさに、翻弄されて、苦悩しつつ、ある部分に麻痺していた自分自身がいる気もします。生活は機械に満ちて、いつしか心はロボットのように動き、装備を追加、補充して。
と、大袈裟かもしれないですが、現代、皆同じ悩みを抱えて生きていると思います。

現状に、否定的になっても、何も生まれないので、改めてこの「はやさ」とどう付き合っていこうかなと、考えるきっかけを、良いヒントを、彼があたえてくれました。
僕の好きな音楽家や芸術家は、文明の利器を歓迎して、新しい発想へと転換させていきました。
好奇心を持ち、今できる、うみだされる美しさを、考えて進んでいきたいです。


テレビ番組で、ある国を取材したレポーターの感想は、「その国は亀のようなスピードだった」と














三種のガラス。左から紫呉須(酸化マンガン)による発色の江戸末~明治前期頃の紫色ガラス盃、鉛も入った、荒めの口縁造り。中央は大正期の緑色ガラス匙。柄は水色、先の方を透かすと、マーブル模様が浮かびます。

そして、左は小澄正雄さんの作品。江戸期の盃(もしくはイギリス18世紀のグラス等)から連想して製作された小型のソーダガラス盃。

3月18日からMIHO MUSEUMで開催される「和ガラスの美を求めて - 瓶泥舎コレクション- 」に併せて、小澄さんの江戸期のガラスをうつした作品などがミュージアムショップに並ぶようです。

当店でも、今冬に小澄さんの展覧会を予定しています。


余談ですが、小澄正雄さんの吹きガラスは、古いものをうつした作品も多く、過去の作品で裏底にサインのないものは、彼の作品を知らなければ、プロでも古いガラスと間違えるほどです。(現在は底に印が付けられています)

ネットオークションなどで、おそらくは彼の作品と知りながら、古い物と偽っている出品者も見かけます。(中には古物と思い込み、出されているものもあります。)

もちろん小澄さんは、そんなつもりで製作しておりません。古ガラスに対する知識や研究に大変熱心な方で、その情熱と非常に高い技術が、江戸期の古ガラスを時に越える程の美しさを放っています。だから、"古い"と、間違えるのだと思います。

彼が、僕の店で古いガラスに触れる瞬間の目や姿勢は、真剣そのものです。そして、ガラスをじっと、長い時間いつも見つめています。
その小澄さんが生み出すガラスだからこそ、骨董・古美術蒐集家も惹かれるのは、やはり自然なことでしょう。

これは本当に難しい問題なのですが、作家が今後も自由な製作に対する姿勢、良い物作りを続けるためにも、売り手としてお伝えしたいと思いました。



紫色ガラス盃 江戸末~明治前期 売約済み



緑色ガラス匙 大正









webサイトとインスタグラムでは既にお知らせしていますが、今年は春の催事への出店が二週間連続となります。二つの催しが終了後、店舗では展覧会がすぐ控えており、準備に専念しているものの、逸る心に身体が追いついていきません。
さて、五月まで、あっという間に駆け抜けていく予感がしています。

催事のひとつは、初回から出店している「京都ふるどうぐ市」。今年で四回目の開催です。元・立誠小学校での開催は最後になりそうとのこと。

建物、古物、人々が渾然一体となり生まれる躍動感は、初回から全く薄れることなくエネルギーは増すばかりじゃないでしょうか。

この国に、あれだけの建物が他にいくつあることか。取り壊しはまだ本決定ではないかもしれませんが、どんな形であれ、後世に残すべき建築だと思います。

これまでの出店経験を踏まえて、あの場所で悔いのないように、良い品揃えで皆さんをお迎えいたします。


もう一つは今春、東京目白で開催される「目白コレクション」への出店が決定しました。

新たな大舞台に、緊張していますが、自分の役目を探して、面白く楽しんでもらえるような品物をお持ちします。

そして、画像の白磁カップソーサーは目白コレクションのFBでご紹介いただいたものです。
「骨喜茶碗 同皿」と箱書あり。高台付きの白磁蕎麦猪口が更に薄く整えられて、西洋に寄り手付きになった印象です。よく精製された土、若干青みがかった釉薬に、その技術の高さは、特注品の古伊万里白磁と思われます。資料を調べていますが、無地の古伊万里白磁カップソーサーは、その他ではまだ見あたりません。ご存知の方がおりましたら、教えていただきたいです。

ともかく、数年間自分で気に入って残してきたカップソーサー。開催までは引き続き調査をして、お持ちいたします。是非目白コレクションにてご覧ください。





古伊万里白磁カップソーサー








hondakeiichiro

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CLOSED on Thursday + 1st,3rd Friday




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6月の休業日|
8(木)、9(金)、15(木)、16(金)、 22(木)、23(金)、29(木)、30(金)




企画展 2017|

宮武 史郎 彫刻展
3月11日(土) – 3月22日(水) 


MAROBAYA 衣服展
4月28日(金) - 5月7日(日)



お問い合わせ|
keiichirouhonda@gmail.com