輪線文様の焼物たち



目白コレクション開催まで、あと二十日をきりました。引き続き出品予定の品物を紹介して参ります。

横線の焼物各種。

豪快な白丹波徳利に躊躇いない三本線は、心地良いものです。
仕入れの際に大きくて、一瞬迷ったのですが、怯んだのはおそらくこちらの器量不足が故。ついて来いと言わんばかりの圧倒的な存在感に、任せるように抱えて帰りました。間違いはなく、良かったと思っています。




白丹波徳利 幕末~明治 26cm高 売約済み
瀬戸輪線文鉢 江戸後期 21cm×9cm
白磁一文字盃 明治 6.3cm×3cm 売約済み






瀬戸輪線文鉢はお探しの方も多いのでは、と思います。鉄釉で規則的に線が引かれ、筆が早さで流れて擦れて出た濃淡による模様は、見飽きることもなく、一般的な古い雑器と呼ばれるにはあまりにも整った景色です。

陶磁器のなかに時折感じる、意図した以上の絵画的な芸術性には、いつも静かに感動してしまいます。

自分も長く探し求めていた焼物で名残惜しい気がありますが、この機会に出品いたします。









フランスの白錫釉注器と受皿



目白コレクション、いよいよ近づいてきました。今回の案内状には様々な"白"の焼物が載せられています。自分も好みの白を、色々とお持ち出来ればと思います。

白錫釉注器と受皿。18世紀フランスのオイルとビネガーサーバーです。(同手の受皿が目白コレクション案内状表紙にも、ありました)
脆い軟質陶器ですが、ほぼ傷が無く、釉薬の調子も気に入っています。

脚元から胴部への膨らみ、細く長い首までの姿形は、シンプルでエレガントな美しさがあり、とてもフランス的だと思います。

数も少ない無地白釉サーバーですが、よく目を凝らしてそれを比較をすると、一つ一つの形の違いが案外あることに気付きました。

希少性に気を取られていましたが、やはり手作りによる焼物。無地で真白だからこそ、個々の個性が際立つところでも、あります。


白錫釉注器と受皿 フランス18世紀








宮武史郎展 終了



宮武史郎展「すくう」

無事終了しました。ご来場ありがとうございました。

並んだ像は全二十三体。
殆どの行き先が決まり、作家と共に作品たちと離れるのを名残惜しくも安心しています。


生々しく描写的な宮武さんの像は、強固な現実感やエロティシズムを連想する作品もあれば、描写からは解放されて原始的で素朴な、拾われたありのままの、なにも手を加えていないような作品もあります。

すべてが安らぎや心をあたためるものだけではなく、人によっては放つ力が強いがゆえに遠ざかり目をつむることもあります。

観る側の眼により、"化身"はあらゆる変化をして、問いかけをするかのように、哀しみにも喜びにも。

でも、それが汚れなき真の芸術の愉しさではないかと思います。




人形師であり人形遣い(役者)でもある宮武さんが作る彫刻は、職人的な要素が随所にあり、本物の彫刻が放つ激しさや厳しさとは異なるかもしれません。
しかし、操りの道具としてうまれた人形でもありません。

静かで周辺のものたちと調和しようとする少年のような、老人のような像は彫刻とは似て非なるもの。

人形と彫刻の中間にあるような彼の表現はどこに向かうのか、これからまだまだ見守り見続けたいと思います。




幸運にも、きっかけは僕の言葉から、はじまった彼との展覧会。特別です。
また何年後かに皆さんにお届けしたいです。









古越前中壷



みぞれ降る三月夕暮れ。陽も長くなりました。姫水木の淡緑が出ると、春のまだ向こうを思わせます。古越前壷と、枝に憩む鳥のデルフトタイルと。


本日から宮武史郎展の作品搬入と展示変えです。

二年前の個展の際、その頃は壁も藍色だったことや、二月の張り詰めた冷たい空気のなか、漂流物を主体とした彫刻を置くと、海の奥底にいるような感覚となったことを憶えています。

今回も沢山の彫刻が並び、雰囲気が、がらりと変わりそうです。



古越前中壷 江戸初









still waters run deep



とある日の、同業者の方との雑談から

(その人は、飾らず飄々として、裏方に居るような人。俯瞰して眺めていて、いつか何かをしてくれそうな。能ある鷹は爪を隠す、そんな感じでしょうか。ひそかに尊敬をしています。)

その彼に、美しさ(うつくしいもの・こと)とは何だと思いますか?と聞かれました。

咄嗟に頭の中を巡らせて、僕が言葉を出す前に、彼は続けます。
静かであること、
というのは何となく腑に落ちますよね、と。加えて、
ゆっくりであること、
というのを知人から最近聞いて、成る程と、感じたんですよと言われました。

瞬時に思い浮かんだのは、その日、話をしている彼に会いに行く道中に遠くから見た、大きな雪山でした。山を見て思わず、大声を出して綺麗だなあと、独り言のように呟いたこと。
二月の雪の山。季節が移ろい、山もゆっくり、ゆっくりと、
そして静かに実は動いていて、姿を変える。
それは、最近見たものの中では、ベストスリーに入る心に沁みたもの。
美しいものは、タダ(唯・只)だよ、と云ったまた別の友人の言葉も重なりました。

速度を追求して更に便利になっていく生活は、何処に着地するでしょう。
静かに、ゆっくりで、とは、なかなかいかなさそうです。
そのはやさに、翻弄されて、苦悩しつつ、ある部分に麻痺していた自分自身がいる気もします。生活は機械に満ちて、いつしか心はロボットのように動き、装備を追加、補充して。
と、大袈裟かもしれないですが、現代、皆同じ悩みを抱えて生きていると思います。

現状に、否定的になっても、何も生まれないので、改めてこの「はやさ」とどう付き合っていこうかなと、考えるきっかけを、良いヒントを、彼があたえてくれました。
僕の好きな音楽家や芸術家は、文明の利器を歓迎して、新しい発想へと転換させていきました。
好奇心を持ち、今できる、うみだされる美しさを、考えて進んでいきたいです。


テレビ番組で、ある国を取材したレポーターの感想は、「その国は亀のようなスピードだった」と












小澄正雄さん酒盃と古硝子



三種のガラス。左から紫呉須(酸化マンガン)による発色の江戸末~明治前期頃の紫色ガラス盃、鉛も入った、荒めの口縁造り。中央は大正期の緑色ガラス匙。柄は水色、先の方を透かすと、マーブル模様が浮かびます。

そして、左は小澄正雄さんの作品。江戸期の盃(もしくはイギリス18世紀のグラス等)から連想して製作された小型のソーダガラス盃。

3月18日からMIHO MUSEUMで開催される「和ガラスの美を求めて - 瓶泥舎コレクション- 」に併せて、小澄さんの江戸期のガラスをうつした作品などがミュージアムショップに並ぶようです。

当店でも、今冬に小澄さんの展覧会を予定しています。


余談ですが、小澄正雄さんの吹きガラスは、古いものをうつした作品も多く、過去の作品で裏底にサインのないものは、彼の作品を知らなければ、プロでも古いガラスと間違えるほどです。(現在は底に印が付けられています)

ネットオークションなどで、おそらくは彼の作品と知りながら、古い物と偽っている出品者も見かけます。(中には古物と思い込み、出されているものもあります。)

もちろん小澄さんは、そんなつもりで製作しておりません。古ガラスに対する知識や研究に大変熱心な方で、その情熱と非常に高い技術が、江戸期の古ガラスを時に越える程の美しさを放っています。だから、"古い"と、間違えるのだと思います。

彼が、僕の店で古いガラスに触れる瞬間の目や姿勢は、真剣そのものです。そして、ガラスをじっと、長い時間いつも見つめています。
その小澄さんが生み出すガラスだからこそ、骨董・古美術蒐集家も惹かれるのは、やはり自然なことでしょう。

これは本当に難しい問題なのですが、作家が今後も自由な製作に対する姿勢、良い物作りを続けるためにも、売り手としてお伝えしたいと思いました。



紫色ガラス盃 江戸末~明治前期 売約済み



緑色ガラス匙 大正 売約済み






目白コレクションと京都ふるどうぐ市



webサイトとインスタグラムでは既にお知らせしていますが、今年は春の催事への出店が二週間連続となります。二つの催しが終了後、店舗では展覧会がすぐ控えており、準備に専念しているものの、逸る心に身体が追いついていきません。
さて、五月まで、あっという間に駆け抜けていく予感がしています。

催事のひとつは、初回から出店している「京都ふるどうぐ市」。今年で四回目の開催です。元・立誠小学校での開催は最後になりそうとのこと。

建物、古物、人々が渾然一体となり生まれる躍動感は、初回から全く薄れることなくエネルギーは増すばかりじゃないでしょうか。

この国に、あれだけの建物が他にいくつあることか。取り壊しはまだ本決定ではないかもしれませんが、どんな形であれ、後世に残すべき建築だと思います。

これまでの出店経験を踏まえて、あの場所で悔いのないように、良い品揃えで皆さんをお迎えいたします。


もう一つは今春、東京目白で開催される「目白コレクション」への出店が決定しました。

新たな大舞台に、緊張していますが、自分の役目を探して、面白く楽しんでもらえるような品物をお持ちします。

そして、画像の白磁カップソーサーは目白コレクションのFBでご紹介いただいたものです。
「骨喜茶碗 同皿」と箱書あり。高台付きの白磁蕎麦猪口が更に薄く整えられて、西洋に寄り手付きになった印象です。よく精製された土、若干青みがかった釉薬に、その技術の高さは、特注品の古伊万里白磁と思われます。資料を調べていますが、無地の古伊万里白磁カップソーサーは、その他ではまだ見あたりません。ご存知の方がおりましたら、教えていただきたいです。

ともかく、数年間自分で気に入って残してきたカップソーサー。開催までは引き続き調査をして、お持ちいたします。是非目白コレクションにてご覧ください。





古伊万里白磁カップソーサー








宮武史郎展



宮武史郎展 3月11日(土) - 22日(水)
今年最初の企画展は宮武史郎 彫刻展 "すくう" です。

本日、日暮れ前に撮影した展覧会案内用の新作彫刻。渇き枯れ果てた木に、生々しく命をもたせています。

人形劇団員でもある宮武史郎は国内外で数多くの公演をしながら、その旅の途中で素材となる木や、あるいはその他の物質を拾い集めます。幾つもの海や砂浜から掬われたそれらは、必然的で無二の形を宿しています。

人形を操り、人形製作をする彼は常に"生命を宿すもの"として物との対話をしているように思います。

彫刻家としてではなく、普段から人形が傍にいることで、慈しみ、ゆっくりとあたえるように、産みだされた作品は、彫刻や彫像と呼ぶには、また違う処にあるものかもしれません。


二度目となる今回の題は「すくう」。
第一回の「いただく」から"二部作"となるような展覧会となりそうです。

"いただく"は、自分に与えられたものを、頂戴するという受動的な言葉に対して、"すくう"は、自ら拾いあげる、掬う(救う)という能動的な言葉です。
相反するような言葉が選ばれた、その意味は、おそらく作品にも表れていることと思います。

彼は、素材を与えられた (いただいている・いただきます)
彼が、素材をすくう (すくいだす・拾い上げる)

素材(木を中心とした,石,鉄,草花などの漂流物/落下物を主とした物質)



"すくう"というのは、目下にあるものをイメージします。細かな粒、水の中、豆の類…
とても小さくて、掴んでも、つかみきれないような、儚さがその言葉に漂っています。

そして、(すくう)は、現在の自分の仕事との繋がりの強さを感じます。それはまた、展覧会の葉書の文章でもふれたいと、思っています。







瀬戸無地六寸皿 (灯明皿)



焦げや油沁みと緻密な貫入が絡まり生み出した複雑な景色。狐色に変わった灰釉は見応えがあります。

薄造りで細い高台がある為、元々は灯明皿ではないかもしれませんが、普通の食器としての使用では、ここまでの沁みた姿にはならないような気がします。何らかの受け皿か、食器以外の道具としての器だったか。

縁には薄く鉄釉を重ねた跡も見られます。









瀬戸無地六寸皿 江戸後期頃 17,8cm径 3,8cm高 売約済み








中世の信楽壺



長石を含んだ煉瓦色の肌合いが魅力的な古信楽大壺。
紐土を巻き上げた紐作り成形が、胴に豊かな痕跡を残しています。

大きな窯変で灰を受けてたっぷり自然釉の掛かった壺も、素晴らしいですが、火色の美しさと枯れた味わいが同居するこの姿は、豪快でありながらも、派手さの無い落ち着きがあります。

中世の信楽壺が、六古窯の中でも特に昔か
ら人気が高く、代表格として君臨するのは、自然と共にあるようなこの土が、豊かな季節感を思い起こさせて、日本人である意識へと響くからかもしれません。

多くの人々(世界も含めて)を魅了してきた古信楽壺。現代の店の空間でも、西洋や東洋の器や民藝品と並んでも、しっくりと馴染んでくれています。

この仄かな紅みに、春を思い待ちます。





古信楽大壺 室町 35cm高 売約済み











根来筒型蓋物



碁石を容れたという根来の蓋物に、似合う花を探して、農協や花屋に園芸屋と沢山廻って、理想の白侘助がやっとありました。

葉の大きさや艶の具合、蕾の開き方、枝ぶり、虫喰い… 皆違う花。
頭の中にある、(形)を生き物で探すのだから、到底それは無理なこと。
それでも、惹かれ合うような、"いれもの"と花の相性はあるでしょう。


椿の種類は1000種以上、この花を見つけた園芸屋さんは、盛期は200種以上を置いたと言います。茶花について色々教えてくださいました。


蓋にも亀裂が入り、器も欠けている根来。
朽ちてうまれた自然な姿。力強い。


根来筒型蓋物 江戸期








白薩摩とフランス白磁と瀬戸灰釉



現在webのトップにある白薩摩香炉。
蓋を外してフランスや灰釉の器類と並べてみました。
(金属蓋は後年に製作されたものですが、非常に良い出来です)

用途を限定して単体で眺めるのも美しいのですが、
場所や隣り合うものとの関係で、別の姿が浮かび上がるようです。
この香炉も拡がりと幅のある器と感じています。

ここでは隣にある灰釉の器を紹介します。






無地灰釉小皿 明治頃 10.5cm~11cm径 2.2cm高 売約済み

焼成加減で色の出方がグラデーションのように様々です。
瀬戸か或いは信楽か、、不明ですが関西で見つけたもの。
各地民窯でもこんな無地灰釉の素朴な器を沢山つくっていたと思います。
よく出てくる瀬戸の豆皿より大きめです。







無地瀬戸灰釉碗 大正−昭和頃  売約済み

手取りもずしりと重量あり、土は厚くころんとしたボウルのような碗。
灰釉の色味も味わいがあり底も変わっていて不思議な印象。コーヒー、お茶など普段使いに合いそうです。






永遠と瞬間


※定員に達しましたので受付を終了いたします。ありがとうございます。


来月2月15日、"cd shop songs"にて店主鬼頭氏と対談をいたします。
内容は「永遠と瞬間」という主題に基づいた選曲を中心として、皆さんの前でお話をします。

プロの選曲家でも音楽家でもない、僕が音楽のお話をするのは大変恐縮で、特殊な企画になりますが、旧い仲でもある鬼頭さんからのご提案で、この新しい試みを愉しみながらお引受けしたいと思いました。

古道具や工芸品(或いはartistによる作品)を扱うこの仕事の傍ら、ゆるやかに音楽活動を続けてきました。
そういった経緯もあって、これまでに音楽との結びつきが強い展覧会、企画展、そして演奏会を開催してきました。物が、空間との調和により見立てられ、真価を発揮するように、音楽もまた、物や空間(人物や生物)に反応して、変現しながら聴こえるものかもしれません。

例えば、彫刻が並ぶ、蝋燭だけの薄明かりの中で中世の古楽器、クラヴィコードの演奏されたある冬の夜。繊細過ぎるほどの微かな音色は、空間、灯、その彫刻との、すべての合奏であったかのように。

例えば、十二月の大雪の晩に、民家の畳の上で、ぎゅうぎゅうに人が集まり、モノクロームの何処とも判らない美しい風景が投影される中に、響いた電子音とオルガンのドローン。

どちらも時空を超えた音を体感して、記憶に残りました。 何かひとつが異なっていても、違う音に聴こえたと思います。

音楽は、自由に好きなものを聴けたら幸せですが、場所によって制限や制約があったりすることが、よりその場に相応しい音を鳴らしている場合がある気がします。



よく考えて、続きは2月15日にお話します。



『永遠と瞬間』

2017年2月15日(水)
場所/cd shop songs
時間/20:00-22:00
料金/¥2,000(パンとスープ付き)
飲食/円居
出演/本田慶一郎(「本田」)、鬼頭黎樹(songs)
定員/15名
※予約制

定員に達しましたので受付を終了いたします。ありがとうございます。1/23


この日のパンとスープを提供してくれるのは長良の円居さんです。
説明不要の人気店、美味しいパンと食事を求めて、たえず人が訪れ、遠方からも多くの方がいらっしゃっています。

そして円居の門脇さんは、僕より僕の音楽を知っている人かもしれません。
その理由も当日に。今回のような企画への出店は貴重な機会かと思います。
ぜひ併せてお楽しみください。


因みに写真はmaher shalal hash bazのイギリスツアーに参加した際に、車窓から写した風景。All Tomorrow's Partiesの開催される、マインヘッドという街へ行く途中(ロンドンから西へ数百キロ)。この世と違う遠いどこかみたい。








デルフトタイル 白鳥図



斑雪に染まった金華山は、いつもより大きな存在感を放って、うごめく獣の背中、野生の毛並のようでした。これは、怒らしてはいけない。みたいな。
自然は輝かしくも怖いのです。

写真は、自宅から店までの通勤途中の風景。毎日、山を眺め橋を渡ります。
歩けば1時間もかからない距離なので、今年は歩いて沢山通いたいと思います。身体のためと、頭の体操にも。歩くことで、普段の気づきも、より多く訪れるように感じます。
力を抜いて、歩き方から考えたり。



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湖面に浮かぶ白鳥。
余白は雪降る白銀の世界に見立てて。
"動"から"静"へと流れ落ち着く、厳しい寒さの時期に、白鳥図が重なります。

そして今年は酉年ということで、数種の鳥のデルフトタイルを店内に飾りました。
数多あるデルフトタイルですが、季節や行事にも合わせて飾る絵を選ぶと、また奥行きが増して楽しめそうです。


デルフトタイル 白鳥図 17世紀 13,2cm 売約済み












黒釉徳利



厚く黒釉の掛かった大振りの徳利。
まるで西洋のボトルや古いガラス瓶を写したような形状。

すっきりとした姿は、用途の為に意図的に生み出されたものなのか。
艶のある黒さでこんな瓶形だと、遠目に見ると、ほんとにオニオンボトル等の西欧ガラスの類みたいです。

先日の四国仕入れのものですが、細かく灰白色の素地は美濃か瀬戸産ではないかと思っています。
そしてこの黒々とした黒は、天目釉のように自然発生的に生まれた黒ではなく、意図して生み出された黒。以前紹介した漆黒釉と同じなのですが、敢えてこの黒さは単純に黒釉と呼びたい潔い黒です。
また、漆黒釉も江戸中期以降は各窯業地で製産されており、一概に産地を特定することも難しそうです。

見た目よりも軽く薄造り、その陶工の技量に関心します。
花器にも良いですが、そのまま置いて、凛とした佇まいを愉しみたい瓶です。


※追記
その後、土佐の尾戸焼(能茶山焼)ではないかと、古民藝に詳しい方より教えていただきました。仕入れ地(四国内で土佐にも近い場所)や形状と資料から推測して間違いなさそうです。ちなみに、尾戸焼と思われる別の焼物も、後日改めて紹介できればと思います。失礼しました。 1/18









黒釉徳利 幕末頃 27.5cm高 売約済み









呉須絵陶器 瀬戸太白手の豆皿



地元の呉須絵陶器、太白手はこれまでにも猪口や皿に鉢類と幾つか紹介しました。
土物に素朴な絵柄は、やっぱり落ち着く。普段使いに良いのです。

中でも、今回のような小さな豆皿はおそらく数の少ないものでしょう。
高台も安定していて、適度な深み。平盃にも使えそうな寸法です。

柔らかな陶土ゆえに完器で残っていることは希少。
形と柄が良くても、大きな直しや疵の多さで諦めることも多々あります。
加えて、微妙で絶妙な筆運びの好みの絵柄を探すので、また数は絞られて。

この三種の柄は梅花、唐草、網文様。
小さな見込みの中に、バランス良く描かれて心地よいリズムを生み出しています。
網文様は奇跡的に無傷。
他の二枚も高台には疵もなく許容の範囲内かと思います。
梅花はこの季節にも似合い、ほっこりと。かわいい。





瀬戸太白手豆皿(平盃) 18世紀末~19世紀中 径8,2cm~9,5cm 全て売約済み









幕末明治の民窯白磁皿



民窯白磁皿。
瀬戸焼や伊万里焼とも土や質感の異なる白磁皿。
香川県の海沿いで仕入れた品ですが、青白く、縁もエッジの効いた
丁寧な造りで、清廉な雰囲気が漂っています。

砥部焼でもなく。
やきものに詳しい常連のお客様によると兵庫県出石焼の可能性もあるとのこと。
出石焼は花細工物、紋様のあるものが多いようですが、純白磁器の評価は高く、
日用品も製産していたようです。

白磁も多様に存在し、見極めは困難ですが、見慣れない白磁を手にすると嬉しくもあります。
緊張感のある繊細な薄造りは、和菓子などを引き立ててくれそうです。
縁の幅、高台造りと微妙なたわみに古さのある肌合い。
ちょっとしたことですが、ありそうでない白磁皿だと思います。

10客あり、すべてが無傷です。
江戸期の木箱に仕舞われて大事に保管されていました。
名もないながらも美しきもの。あと、どれだけ出会えるでしょう。
探して受け継ぐこと。
これからのことを思いつつ、今年も頑張りたいです。











民窯白磁皿 幕末~明治 11,7cm×1,5cm 10客あり 無傷 売約済み












吉田次郎のリム皿と陶板


すべて売約済み

吉田次朗さんのリム皿、取皿、板皿(陶板)が入荷しています。昨年個展以来に久々の入荷です。吉田さんの作品は店頭販売のみです。数量に限りがありますが、ぜひお手に取ってご覧ください。

最初に僕自身が購入したオブジェや板皿も、はや十年近く経とうとしています。

デビューした当時から現代陶芸の世界で話題となった吉田さんですが、現在その人気は更に加速して世間一般へと広まりつつあるようです。
それでも、全く何も変わらない吉田さん自身や人柄は、作品にそのまま表れています。

彼からお祝いにいただいたモビールは宝物。玄関に飾り、いつもふわふわと揺れています。







鶴と稲束文様ころ茶碗


鶴と稲束文様ころ茶碗 江戸後期 伊万里或いは砥部 売約済み


謹賀新年
本年もよろしくお願いいたします。

年末年始の帰省中に砥部にて出合った、おめでたい鶴と稲束文様の碗。
柔らかに描かれた鶴を、つつむようなころ碗形。
酉年にふさわしいもの、和の心。ほっとするような穏やかな気持ちにさせてくれます。

新入荷も並べて、1月7日(土)より営業いたします。




砥部鶏型香合 売約済み

2016年のはじまりは、猿の香合をこちらで紹介しました。
良い職人がつくったことのわかる色絵で、すごい迫力と存在感があり
お猿さんの顔も、よく覚えています。
古いものや古美術に興味がなくとも、おそらく誰もが気迫を感じるような。
お猿さんの台座の三宝もぴったりで、本当に可愛かったのです。

この鶏型香合は、大晦日の昨年最後の仕入れの日に、ご縁があり来てくれたもの。
あの猿ほどの力はありませんが、細かい型の造りで、表情や毛並みも綺麗に出ています。
鶏冠の燻んだ色味と、眼が気に入ってます。

新年は干支の香合。
気張らずとも、一周続けられたら面白そうです。










手吹きのグラヴィール片口硝子。
彫られた文字は、喫茶店の屋号とか、かな?と無意識に思い込んでいましたが、恥ずかしながらまったく違いました。

"写真用専用"とあります。
現像液を配合する過程などで使用したのか、上右には「no3」とも。
かなり薄造りで、画像では写っていませんが、気泡や沢山の線があり、大きく揺らめいています。

用途が解ると、不思議と愛着が湧いてきます。過去に、この硝子がどんな働きをしていたのか、この文字がそれを証明していて想像をできるのが、何とも興味深く、嬉しいこと。

今、使うならやっぱり片口として、そして、酒器になりましょうか。
繊細な薄造りの硝子から注ぐのは、きっと美味しい。


文字が示す確かな用途と古き時代。
その数文字で、意識が旅をする。
片口の無駄のない造形に、アクセントが効いて、とても豊かでユーモアのあるものになっている。










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8月の休業日|
3(木)、4(金)、10(木)、11(金)、 17(木)、18(金)



夏期休業

8月21日(月)から9月1日(金)まで
休業とさせていただきます。




企画展 2017|

「東西筒物百景」

9月16日(土) – 9月24日(日)




お問い合わせ|
keiichirouhonda@gmail.com